「東都名所永代橋全図」 歌川広重/東京都立中央図書館特別文庫室所蔵
粋な男と初物への熱情
江戸湾をひろびろとのぞむ風景。右奥に見えるのは干拓前の佃島で、左奥は深川新地です。画面の中心から左側に大きく伸びているのは永代橋。佃島沖には大きな船がいくつも浮かび、それらから荷を移した小舟が白い帆を張り、一列に並んで永代橋の下を通って隅田川の上流へ向かいます。かなたに広がる水平線。橋や船が斜めにクロスするように描かれ、見る者の視線を方々に導きます。広重は多くの船が行き交う隅田川河口の風景をどこか厳かにドラマチックに描き出しています。
現在、茅場町駅と門前仲町駅の中間くらいに掛かる永代橋ですが、江戸時代にはもう100mほど隅田川の上流寄りにありました。架橋されたのは元禄11年(1698年)。当時、周辺はまだ干拓前で、ここに描かれているようにこの橋はまさに隅田川の河口に位置していたのです。長さは約200m、幅は6mに及び、その下を帆船が通過するため、橋脚も高く、それはそれは大きな橋だったのです。江戸で永代橋の名を知らぬ人はいませんでした。この橋は赤穂浪士が、吉良上野介屋敷への討ち入りを果たした後、その首を掲げてわたった橋であり、明治に入ってからは歌舞伎の芝居の舞台にもなっているからです。
「昔八丈大岡政談 髪結の新三 尾上菊五郎 弥太五郎源七 市川左団次」豊原国周/東京都立図書館 (右が新三)
「魚づくし 鰹に桜」 歌川広重/国立国会図書館
「永代橋」 日本写真帖(明治45年刊)/中央区立京橋図書館
歌舞伎の人気演目の1つ「梅雨小袖昔八丈(ツユコソデムカシハチジョウ)」、通称「髪結新三(カミユイシンザ)」には「永代橋の場」という見せ場があります。廻り髪結いの新三が、騙して連れ立ってやってきた忠七を橋の前で殴り、罵倒する場面です。新三は前科者の小悪党で、いかにも江戸の不良男という感じ。豊原国周が描くその姿も悪びれていますが格好が良いのが憎いところです。この新三、永代橋のほど近く富吉町の長屋住まい。芝居の舞台となっている季節はちょうど夏で、銭湯から戻った新三が長屋でくつろいでいるところに、鰹売りがやってきます。悪事で大枚を稼ごうと企む彼は威勢良く三分で初鰹を買うのでした。
三分といえば6万円相当。江戸っこたちの初物へのこだわりは半端ではなかったようです。中でも初鰹は特別でした。惜しむことなく大枚をはたいて初鰹を味わうことこそ江戸の粋。命がけの悪事と引き換えに鰹を手に入れる新三にお客たちはしびれます。初夏の季節感を盛り込んだこの芝居には江戸の風情がいきいきと輝きます。潮風を遠く受ける永代橋一帯にはそんな江戸の香りがいまもなお立ち込めている、そんな風に思えてなりません。