江戸から東京へ引き継がれ
歌川広重(1797―1858)の晩年の傑作、江戸名所図会。「日本橋 えど橋」(①)は江戸の名所20箇所を近景、遠景を織り交ぜて表したこのシリーズの1点として描かれました。
画面の左に大きく配されるのは擬宝珠(ぎぼし)を設えた欄干。この橋は日本橋川に掛かるまさしく日本橋。そして日本橋越しに小さく描かれている橋が「えど橋(江戸橋)」です。さらにその先、小網町の河岸には白い土蔵がびっしりと並び、朝日が今まさに上ろうと水平線を赤く染めています。たゆたう川の流れ。空に飛びかう数羽の鳥。広重は朝の清々しい空気までここに見事に描き出しています。
日本橋と江戸橋の間に位置する北側のエリアには魚河岸が広がっていました。この絵の手前をよく見ると棒手振(ぼてふ)りの桶の中に鰹がさりげなく描かれています。魚河岸で今しがた仕入れてきたものでしょう。魚河岸はもちろん、このエリアには食品の加工業、調理道具屋、料理屋など、「食」を巡るあらゆる職種が集まり、それは賑やかだったようです。関東大震災を機に魚河岸は築地に移ることになり、その後、太平洋戦争で戦災にも遭いますが、江戸から続くそうした気風は消えることはありませんでした。この地には江戸時代に海苔屋、はんぺん屋、楊枝や包丁の店として創業し、現在に至るまで少しずつ形態を変えながらも老舗として続く店がいくつも軒を並べているのです。