まちかど展示館 エリア特集

【連載 第三回】中央区 食の痕跡、絵画の道楽

江戸橋 変わらぬ江戸の風情

すしに蕎麦、鰻に天麩羅、酒に珈琲、すき焼きにカレー、飴にあんみつ…中央区には江戸から今に至る食の痕跡がたくさん散らばっています。浮世絵や日本画、洋画などアートの世界にヒントを得ながら、食の痕跡を追いかけ、絵画の道楽も満喫してみませんか。

①歌川広重 名所江戸百景日本橋江戸ばし 1857年(安政4年)
画像提供:国立国会図書館

江戸から東京へ引き継がれ

 歌川広重(1797―1858)の晩年の傑作、江戸名所図会。「日本橋 えど橋」(①)は江戸の名所20箇所を近景、遠景を織り交ぜて表したこのシリーズの1点として描かれました。
 画面の左に大きく配されるのは擬宝珠(ぎぼし)を設えた欄干。この橋は日本橋川に掛かるまさしく日本橋。そして日本橋越しに小さく描かれている橋が「えど橋(江戸橋)」です。さらにその先、小網町の河岸には白い土蔵がびっしりと並び、朝日が今まさに上ろうと水平線を赤く染めています。たゆたう川の流れ。空に飛びかう数羽の鳥。広重は朝の清々しい空気までここに見事に描き出しています。
 日本橋と江戸橋の間に位置する北側のエリアには魚河岸が広がっていました。この絵の手前をよく見ると棒手振(ぼてふ)りの桶の中に鰹がさりげなく描かれています。魚河岸で今しがた仕入れてきたものでしょう。魚河岸はもちろん、このエリアには食品の加工業、調理道具屋、料理屋など、「食」を巡るあらゆる職種が集まり、それは賑やかだったようです。関東大震災を機に魚河岸は築地に移ることになり、その後、太平洋戦争で戦災にも遭いますが、江戸から続くそうした気風は消えることはありませんでした。この地には江戸時代に海苔屋、はんぺん屋、楊枝や包丁の店として創業し、現在に至るまで少しずつ形態を変えながらも老舗として続く店がいくつも軒を並べているのです。

②渓斎英泉 木曽街道続ノ壱 日本橋雪之曙 江戸後期
画像提供:国立国会図書館

③江戸橋荒布橋―日本橋川西堀留川合流点 製作年月 明治刊
画像提供:中央区立京橋図書館

④歌川芳虎 東京新開名勝図会 江戸ばしの景
1879年(明治12年) 
画像提供:中央区立京橋図書館

 江戸橋、日本橋界隈が発展を成し遂げた背景には、当時の流通の手段が船を利用した水運を主としていたということがあります。広重のこの絵、そして同じく日本橋から江戸橋を遠景に配する英泉の「日本橋雪之曙」(②)を見ても河岸にたくさんの船が並んでいます。明治時代のものになりますが、そんな様子を伝える写真も残っていました(③)。江戸橋とその東に掛かる荒布橋を臨む川辺の風景です。桟橋といくつもの船、連立する蔵。こちらを向く二人の人物。たくさんの船が行き交いながら食料や生活のための品々が運ばれ、人々の暮らしが育まれてきた様子を想像させます。
 江戸橋は1875年石橋として生まれ変わりました。1879年、歌川芳虎が盃を手にした着物姿の女性と石橋となったその姿を描いています(④)。この界隈の料亭や料理屋、そしてモダンな石橋の存在は、文明開化の香り漂う中、東京の名所として新たに人々を惹きつけていたに違いありません。

林 綾野 キュレーター、アートライター

美術館での展覧会企画、講演会、美術書の企画や執筆を手がける。絵に描かれた「食」のレシピ制作や画家の好物料理の再現など、アートを多角的に紹介。著作『画家の食卓』、『浮世絵に見る江戸の食卓』など。
■企画した展覧会「堀内誠一 絵の世界」が神奈川近代文学館で開催(7月30日~9月25日)。
https://www.kanabun.or.jp/mob/t66.html

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