まちかど展示館 エリア特集

【連載 第七回】中央区 食の痕跡、絵画の道楽

時代と共に輝く銀座

すしに蕎麦、鰻に天麩羅、酒に珈琲、すき焼きにカレー、飴にあんみつ…中央区には江戸から今に至る食の痕跡がたくさん散らばっています。浮世絵や日本画、洋画などアートの世界にヒントを得ながら、食の痕跡を追いかけ、絵画の道楽も満喫してみませんか。

①東京名所之内 銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図 歌川広重(三代)明治15年(1882)
現在の銀座4丁目は銀座煉瓦街と呼ばれ、通りは車道と歩道に分かれ、松や桜が街路樹として植えられていた。桜は満開だ。

煉瓦を敷き詰めた新しい街

20人ほど人を乗せた車両を2頭の馬が引き、手前には洋服姿の男性を乗せた人力車が駆けています。ここは銀座4丁目。背景左側の建物は朝野(ちょうの)新聞の社屋で、その隣は人力車製造工場。現在は和光、そして木村屋が並んでいる所です。《銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図》を描いたのは明治時代、東京の様子を巧みに捉えた三代目広重。明治15年に新橋、日本橋間に開通した鉄道馬車が走る銀座の風景を描くこの絵には、煉瓦造りの建物、馬車、洋服を着た人など外国から流れ込んできた文明、様式、風俗の香りが漂います。画面の左右にすっと立つガス灯もまさしく文明開化の象徴のひとつ。明治7年に設置されて、銀座の街を明る<照らしました。
当時この辺りは「銀座煉瓦街」と呼ばれていました。明治5年に起きた銀座大火の後、街の不燃化を目指し、道路の幅を広げ、煉瓦を敷き、建物にも煉瓦を施したためそう呼ばれるようなったそうです。突如、東京に現れた西洋風の街並みに当時の人々は驚き、心ときめいたことでしょう。

②銀座二丁目付近 大正12(1923)年頃
路面電車や自動車も行き交う銀座は東京でも屈指の繁華街として成長していく。

③カフェークロネコ前の人出 昭和
西洋風の建築やガス灯が聳え立ち、多くの人々が行き交い賑わう銀座。

明治28年、この地に西洋料理を出すレストラン「煉瓦亭」が開業します。初代亭主の木田元次郎はこれから人々の関心は新しいものに移っていくと考え、横浜で西洋料理を修行した人物。明治2年より外国人居留地があった築地に近い銀座は西洋料理店を開くにふさわしいと考えたのです。しかし明治32年に外国人居留地は撤廃。外国人の来客が望めなくなるのであれば、日本人に合うよう西洋料理をアレンジして出すことを思いつきます。 カツレツやハンバーグ、パンの代わりにお皿にライスを盛るなど、「洋食」という新しいスタイルの料理は評判を呼び、多くの人々に愛されるようになったのでした。
煉瓦亭は、その後銀座の区画整備や戦災のため移転を余儀なくされますが、代々営業を続けます。現在の建物になったのは1964年。4代目の亭主、木田浩一朗さんは銀座の地で曾祖父が始めた洋食というスタイルを守り続けてきました。文明開化という歴史的な渦の中、ガス灯の設置、鉄道の開通、外国人が行き交う街として様変わりを続けてきた銀座。現在はインバウンドの旅行者でひしめき合います。「外から来る人も受け入れながら、昔ながらのものを大切にしていきたい」と木田さん。銀座はこの浮世絵に描かれるように、時代の波を受けながらその姿を巧みに変えてきました。そこにはこの地に生きる人たちの時代を掴む機知と努力があったことは言うまでもありません。

人気メニュー「元祖ポークカツレツ」と「ハンバーグステーキ」。シンプルだけれどもしっかりとした味わいでライスとの相性も抜群。店内は昔ながらの変わらぬ味を求める常連客とガイドブックを手にやってくる外国からの旅行者とで賑わう。

昭和の香りを残す堂々とした店構え、落ち着いた店内。
煉瓦亭 東京都中央区銀座3丁目5-16 煉瓦亭ビル

画像提供:①東京都立図書館 ②③中央区立京橋図書館

林 綾野 キュレーター、アートライター

美術館での展覧会企画、美術書の執筆などを手掛ける。著作『画家の食卓』『浮世絵に見る江戸の食卓』など。企画した展覧会「堀内誠一 絵の世界」が島根県立石見美術館で9月2日まで、「谷川俊太郎 絵本☆百貨展」が高松市美術館で9月16日まで開催中。

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