織物中央通りの名にふさわしい風格ある社屋
地下鉄人形町駅から人形町通りを神田方面に進んで三つ目の信号で交差する通り、織物中央通りに呉服問屋『イチマス田源』は店を構えています。「織物中央」の名の通り、周辺には衣料、呉服、布団、染め物などを扱う会社が多く建ち並んでいます。中でも田源は、創業200年余の歴史を誇り、「織物中央通り」を象徴しているかのようです。通りに入れば風格のある石造りの建物と大きな金文字の屋号がすぐ目に入ります。
入り口には江戸時代に建てられた旧京都店の蔵の鬼瓦が二枚展示されています。大きな鬼瓦にはイチマスの屋号が施されていて、江戸時代の豪商を偲ばせます。
幕末に蚊帳の行商から身を起こす
イチマス田源は文政元年(1818年)に近江愛知川(滋賀県愛知郡)で創業しました。「初代田中源治は近江商人の一人で、近江国(現在の滋賀県)に本宅を置き、他国へ行商して歩き主に地産の麻織物や蚊帳の行商を行なっていました」と語るのは6代目田中源治さん(田源会長)。
近江商人は頭に菅笠、縞の道中合羽をはおり、肩に天秤棒を担いで荷を前後に振り分けて下げるのが典型的なスタイルでした。「愛知川は旧中山道の宿場町で、街道を使って、京都や江戸までも足を伸ばしていきました」
田源が江戸方面に進出したのは嘉永年間(1848〜1854年)のこと。「幕末に入り、行商の旅が安全に行えるよう『蚊帳仲間連名組』というものを作ったんです。蚊帳の行商仲間が揃って旅をしようという組織ですね」。その連名帳は今も残り、観ることができます。
証文から日用品まで多彩な展示
田源ビル2階へ上がった後方の奥が「呉服問屋ミュージアム」になっています。前述の「蚊帳仲間連盟帳」はじめ江戸時代を中心に田源の歴史を物語る数々の書類、商売道具、日用品、行商の際に使用された矢立や棹秤などが展示されています。大正時代のソロバンは、平成10年ぐらいまで使用されていたとか。「これは問屋ソロバンといい、取引相手から計算を覗かれないように裏板がついているんです」と田中さん。
中興の祖といわれる三代目が記録していた日記のような諸事覚書、財産調記、店員初登控、証文や商品の送り状など近江商人の努力を偲ぶ貴重な資料はショーケースの下の引き出しにも数多くが収蔵されています。一番奥には旧京都店の内蔵の鬼瓦が鎮座し、一際目を引きます。年代は不詳ですが、田源は初代の時期に京都にも店舗を開設し現在も運営されています。蚊帳の行商から始まって、西陣や友禅など京呉服問屋として発展してきた田源が東京に店を構えたのは明治4年(1871年)のことです。幕末の動乱、震災や戦災など数々の危機を乗り越えて日本の着物文化と伝統を守り続けているのです。
お話を伺った方
会長田中 源治さん
■展示館インフォメーション | ||||
イチマス田源 呉服問屋ミュージアム管理者:株式会社 田源(平成30年度認定) | ||||
住所 | 東京都中央区日本橋堀留町2-3-8 田源ビル 地図 |
開館日 | 年末年始等を除く毎日(不定休あり) | |
---|---|---|---|---|
電話 | 03-3661-9351 | 開館時間 | 10:00~17:30 | |
HP | https://ichimasutagen.shopinfo.jp/ | 最寄り駅 | 小伝馬町駅1番出口 徒歩3分 人形町駅A4番出口 徒歩5分 |