まちかど展示館 エリア特集

2023年12月公開

日本橋エリア特集 Part.7 川と橋を辿るまち歩き日本橋エリア特集 Part.7 川と橋を辿るまち歩き

日本橋川

古来の川が、太田道灌による江戸城築城、江戸開府後の天下普請(てんかぶしん)、明治期の埋め立てと再開削などを経て現在の形に。江戸時代から舟運に利用され、流域は経済の中心地へ。今回は鎧橋より下流をご紹介します。

※参考として川が存在した江戸時代の地図も掲載しています。橋があった時代とは異なる場合があります。

1鎧橋(よろいばし)

東京証券取引所そばにあり、明治5年に初代鎧橋が架けられる前には、鎧の渡しがありました。

江戸土産-鎧之渡- 上/歌川(安藤)広重(1800年代)

鎧橋/東京写真帖(明治40年刊)

証券取引所/佐伯利之撮影(昭和37年頃)

昭和32年に完成したゲルバー桁橋。

鎧の渡し跡の説明板。源義家がここで暴風雨に遭い、鎧を海へ投げて龍神に祈り無事だった、また平将門が兜と鎧を納めたという伝説があるそう。

2茅場橋(かやばばし)

この橋まで首都高速道路の高架下にあります。江戸時代には茅場河岸がありました。

茅場橋近くの高速道路建設工事/
京橋図書館撮影(昭和43年)

平成4年竣工。欄干も特徴的デザイン。

3湊橋(みなとばし)

1679年、霊厳島と箱崎地区の間に架橋。近隣は江戸湊の出入り口として水運の要所に。

日本橋川 -豊海橋上流の光景-/帝都復興記念帖(昭和5年刊)

花王ビルから湊橋を望む/中央区撮影(昭和53年)

関東大震災後に造られた3連コンクリートのアーチ橋。

江戸時代の埋立完成時に創建したという大栄稲荷神社。

4豊海橋(とよみばし)

隅田川との合流直前にあり、 最初は元禄時代に架橋。現在は 中央区の区民有形文化財。

豊海橋/帝都復興記念帖(昭和5年刊)

震災後の昭和2年に竣工した橋が現役。

高尾太夫を祀る高尾稲荷神社。

◎日本橋川の上流は、次回のエリア特集でご紹介します。お楽しみに!

箱崎川

日本橋エリア特集 Part.6で隅田川側から途中までご紹介した箱崎川。江戸期には、川沿いの大半を武家屋敷が占め、国元からの物資の荷上場として、日本橋川同様に江戸湊の中心的存在でした。首都高速建設のため昭和46、47年に埋め立て、橋はすべて撤去に。

※参考として川が存在した江戸時代の地図も掲載しています。橋があった時代とは異なる場合があります。

5土州橋(どしゅうばし)

初代は明治38年に架橋。永井荷風の随筆「深川の散歩」(昭和10年)にも登場します。

土州橋開通式 -箱崎川-/土州橋開通祝賀記念(大正4年刊)

土洲橋/京橋図書館撮影(昭和43年)

〔日本橋箱崎町〕/京橋図書館撮影(昭和43年)

首都高速箱崎ジャンクションの下に当たります。

6永久橋(えいきゅうばし)

元禄期の創架とみられ、その後何度も架け替え。南詰東側に永久稲荷神社が、そばに永久河岸(稲荷河岸)がありました。

繪本隅田川両岸一覧 上 -三俣の白魚 永代春風-/葛飾北斎

永久橋/日本橋区史参考画帖(大正5年刊)

7新永久橋(しんえいきゅうばし)

関東大震災後に永久橋が50m程下流に架け替えられ、新永久橋に。

新永久橋(昭和43年)

(左)新永久橋から蛎殻町二丁目を見る/京橋図書館撮影(昭和43年)
(右)橋があった頃の川沿いの建物が今も。

首都高速6号向島線の高架下。

8箱崎橋(はこざきばし)

江戸時代、手前には稲荷(とうかん)堀という入堀があり、箱崎川沿いは行徳河岸として行徳への船で賑わったとか。

箱崎橋/京橋図書館撮影(昭和43年)

運河と船(昭和30年代)

日本橋川への合流箇所には箱崎川第一公園。
奥には亀島川の入り口にある日本橋水門が見えます。

亀島川かめじまがわ

日本橋川から日本橋水門で分かれ、隅田川に注ぐ1.1㎞の一級河川。江戸初期、霊巌上人が芦原を埋め立てて霊巌島(現・新川)を造り、霊巌寺を建立。その際に埋め残された水路に当たります。

※参考として川が存在した江戸時代の地図も掲載しています。橋があった時代とは異なる場合があります。

9霊岸橋(れいがんばし)

創架は江戸初期と言われ、後期の地図には現在の水門の位置に見られます。

建築写真類聚 橋梁 巻一 -霊岸橋-(昭和2年刊)

 建築写真類聚 橋梁 巻一
-霊岸橋-(昭和2年刊)(親柱)

10新亀島橋(しんかめじまばし)

明治15年に初架橋。江戸時代、茅場町側の旧・亀島町は米穀問屋、新川側は酒問屋の町でした。

亀島橋から新亀島橋を望む/中央区史(昭和33年刊)

平成7年架け替え。水門と東京スカイツリーが見えます。

新亀島橋南西児童遊園に戦災遭難死者慰霊碑。

11亀島橋(かめじまばし)

元禄時代の創橋と考えられ、亀島の名は、瓶売りが 多くいた、また亀に似た小島があったからと言われます。

復興局橋梁設計圖集 -龜島橋-第5輯(昭和5年刊)

  平成14年架け替え。 上流方面の撮影スポット!(上)
赤穂浪士の堀部安兵衛武庸の碑。 (右下)

12高橋(たかばし)

昭和58年に架け替え。南高橋、新亀島橋とともに夜間はライトアップ中。

亀島川緑道では水辺の景色が楽しめます。

13南高橋(みなみたかばし)

関東大震災の復興で創架。予算削減のため、明治37年に架けた両国橋の中央部分を再利用。

南高橋/京橋図書館撮影(昭和32年)

区民有形文化財。土木学会選奨土木遺産。(上)
徳船稲荷神社(左下)

新川しんかわ

1660年に豪商の河村瑞賢が開削したとされる掘割。江戸時代には周囲に酒問屋が集まり繁盛しました。戦災の残土処理のため昭和23年に埋め立て。

14一ノ橋(いちのはし)
15二ノ橋(にのはし)
16三ノ橋(さんのはし)

江戸土産 -新川新堀霊岸嶋-上/歌川(安藤)広重

新川公園内にある新川の跡碑。

越前堀えちぜんぼり

越前堀の入堀/京橋図書館撮影(昭和32年)

跡地の越前堀児童公園にある説明板。

隅田川すみだがわ

東京の東部を流れる荒川の分流で、全長23.5㎞の一級河川。江戸・東京の発達や日本の近代化に大きく貢献しました。

※参考として川が存在した江戸時代の地図も掲載しています。橋があった時代とは異なる場合があります。

17永代橋(えいたいばし)

元禄時代に現在より100mほど上流に初架橋。当時の隅田川河口に当たり、 下を多数の廻船が行き交いました。度々流失して架け替えられるも、江戸名物として 多くの錦絵に登場。赤穂浪士が引き揚げに通った橋としても知られます。

江戸十橋之内永代橋/歌川広重(江戸後期)
※画像提供:国立国会図書館

鐵骨を殘して燒失した永代橋(東京市)
/關東震災画報 第2輯(大正12年刊)

永代橋壞落圖/東京古今図史(大正14年刊)

東京大十六橋-永代橋-

大正15年、震災復興事業により架橋。現在は国の重要文化財。
(左)豊海橋たもとの展望テラスに説明板。

18隅田川大橋(すみだがわおおはし)

昭和54年に完成した隅田川唯一の二層式の橋。 永代橋が良く見え、夜景の撮影スポットとしても人気。

隅田川大橋 -開通式-/中央区撮影(昭和54年)

上段は首都高速道路、下段は都道です。川沿いの隅田川テラスでは休憩も。

町名の移り変わり

今回登場したエリアの江戸最後(慶応3年)から、大正の関東大震災後を経て、現在までの名前の変遷をご紹介!

●日本橋兜町兜町坂本町・武家地・社地官地・神田新白銀町代地・神田塗師町代地ほか

●日本橋茅場町茅場町武家地・南茅場町・岡崎町・亀島町・北島町・山王御旅所門前ほか

●日本橋箱崎町箱崎町・北新堀町箱崎町・北新堀町・永代橋西広小路・武家地

●新川越前堀・霊岸島・新川東湊町・武家地・霊岸島町・霊岸島川口町・富島町ほか

◎日本橋については次の特集でご紹介します。

江戸地図:「御江戸大絵図」/天保14(1843)年原本刊行 協力:こちずライブラリ
画像提供:中央区立京橋図書館

日本橋エリア散策MAP

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