2020年12月公開
銀座の街は徳川家康が造った町人地の町割を元にしているため、当時のまま現在も規則的なブロック状。
多くの通りに愛称があり、覚えればとても分かりやすいのです。
まずは主な通り名とそこに植えられた街路樹をマップで確認してみましょう。
まち歩きの際は道端の木々にも目を向けて、いつもと違った楽しみ方をしてみませんか。
地図をクリックするとPDFで見ることができます
銀座八丁神社めぐり※銀座八丁神社めぐり2019に参加した神社をご紹介
銀座には数々の小さな神社があることをご存知ですか?
例年11月に各社に巡礼して記念スタンプを集める催しが行われています(2020年は中止)。
この冬はイベントやお正月にこだわらず、人込みを避けて訪れてみましょう。
- ①幸(さいわい)稲荷神社:銀座一丁目の並木通り
- ②龍光(りゅうこう)不動尊:松屋銀座の屋上
- ③朝日稲荷神社:大広朝日ビル屋上に本殿
- ④宝珠(ほうじゅ)稲荷神社:木挽町通り
- ⑤宝童(ほうどう)稲荷神社:銀座レンガ通りの路地
- ⑥銀座出世(しゅっせ)地蔵尊:銀座三越の9階
- ⑦歌舞伎稲荷神社:歌舞伎座の正面右側
- ⑧あづま稲荷神社:あづま通りの三原小路
- ⑨靍護(かくご)稲荷神社:GINZA SIXの屋上
- ⑩成功(せいこう)稲荷神社:通常は非公開
- ⑪豊岩(とよいわ)稲荷神社:銀座鈴らん通りの路地
- ⑫熊谷(くまがい)稲荷神社:花椿通り
江戸時代以降、多様な魅力で人々を引き付けてきた銀座の通り。
日本中から憧憬を集めるその名の由来を、過去の貴重な写真とともにご紹介します。
写真提供:中央区立京橋図書館
銀座通り(中央通り)
国道である中央通りが一般に銀座通りや銀座中央通りと呼ばれており、区や都が設定した愛称ではないとのこと。銀座の象徴として全国的に有名で、週末には歩行者天国が行われています。
京橋 竹河岸通り
江戸で京橋川周辺に竹商人が多くいたことから竹河岸と呼ばれ、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれました。平成24年その記憶を残そうと愛称に。川は戦後埋め立てられ上に高速道路が。
昭和通り
関東大震災の復興事業として計画・建設された道路で、昭和通りの名は都が設定。立派なイチョウ並木が続きます。
銀座柳通り
柳は明治10年頃銀座通りに植えられて以来、銀座のシンボルに。銀座柳通りの愛称は昭和63年中央区が設定。
並木通り
江戸初期の町名主・内山惣十郎が住んでいた旧名・惣十郎町に、後に西洋風の並木を植えました。
西銀座通り(外堀通り)
都道の外堀通りが銀座エリアでは西銀座通りと呼ばれます。街路樹に植えられた柳が銀座らしい風情を演出。
晴海通り
名称の由来は中央区晴海。数寄屋橋交番は待ち合わせ場所として有名です。街路樹にはケヤキが。
花椿通り
沿道にある資生堂が整備に尽力。昭和初期まで出41雲町と呼ばれていたことから、島根県出雲市から贈られた出雲のヤブツバキが植えられました。
みゆき通り
明治天皇が築地にあった海軍学校等への行幸(みゆき)の際に通ったため、昭和12年に地元で呼称するように。昭和39年には流行のアイビールックに身を包んだ「みゆき族」と呼ばれる若者たちが闊歩しました。
銀座鈴らん通り
お店がすずらんのように鈴なりで軒を連ねていたことと、かつて「すずらん灯」という街灯があったことから。
見番通り
明治~昭和には新橋花柳界の芸妓や置屋が所属する「見番」があったため。見番通りにつながる西五番街の由来はニューヨークの五番街に西銀座の西を加えたもの。