まちかど展示館 エリア特集

2022年12月公開

銀座・京橋エリア特集 Part.3 川と橋に歴史を探す銀座・京橋エリア特集 Part.3 川と橋に歴史を探す

※参考として川が存在した江戸時代の地図も掲載しています。橋があった時代とは異なる場合があります。

鉄砲洲川(てっぽうずがわ)

江戸時代に開削された掘割といわれ、関東大震災後のがれき処理として1929年に埋め立てられました。現在はほぼ鉄砲洲通りに。

1鉄砲洲橋

隅田川から別れてすぐの橋。鐵炮洲橋とも。

繪本隅田川両岸一覧 上-佃住吉恵方 筑地の凧-
/葛飾北斎(1804年/大正6年復刻)

分流地点には小さな児童遊園。隣には歯にご利益があるという汐見地蔵尊

2新湊橋(しんみなとばし)

鉄砲洲川を挟んで設けられた 築地外国人居留地の南端にあった橋。

築地居留地26番と38番地区-明治10年代-/明治の異人館(明治10年)

今は聖ルカ通りとの交差点

築地川其の一

江戸時代に海を埋め立てた際、残して運河にしたとされる二級河川。隅田川から現・明石町ポンプ所で分流し、築地の周囲をぐるりと流れていました。現在は浜離宮恩賜庭園のそばに残るのみ。

3明石橋(あかしばし)

海風を受けることから江戸期は俗に寒橋(さむさばし)と呼ばれました。

東京名勝図会 鉄砲洲明石ばし/歌川広重(3代目)(1868年)

あかつき公園の手前

すぐそばに月島の渡し跡

4明石堀

昭和45年に埋め立てられあかつき公園に。

築地川(明石掘)埋め立て前 /中央区撮影(昭和42年)

園内にシーボルト像や霧の噴水

5新栄橋(南明橋)
6堺橋
7暁橋

聖路加國際病院建築概要-全容-(昭和7年刊)

築地川跡にある細長い公園園内には橋の碑や説明が

※参考として川が存在した江戸時代の地図も掲載しています。橋があった時代とは異なる場合があります。

築地川其の二

明治15年につながった入船川は大正13年に埋め立て。昭和5年には楓川(かえでがわ)・築地川連絡運河も造られたものの、昭和35年から数度の埋め立てにより、このエリアの川はすべて姿を消しました。入船橋から先は大部分が首都高速都心環状線に。

1築地橋

明治5年、近くに江戸三座の1つ 守田座が移転され、後に新富座に。
現行の橋は昭和44年建造。

新富座附近の図/新撰東京名所図会(明治34年)

首都高速新富町出口に架かる橋に

2三吉橋(みよしばし)

楓川と結ぶ連絡運河が開削された箇所に、昭和4年12月、大変珍しい三叉の形で架橋されました。

図書館屋上から銀座方面を見る-埋立て前の築地川、楓川築地川連絡運河-/京橋図書館撮影(昭和35年頃)

三吉橋の歴史を記した石碑

3亀井橋

昭和3年に造られた橋が陸橋として現存。

築地川-京橋區役所屋上より下流を望む-/帝都復興記念帖(昭和5年刊)

4祝橋(いわいばし)

そばにあった築地活版製造所跡にはビルの脇に活字発祥の碑が。
昭和37年に首都高速建設で架け替え。

活版製造所/東京盛閣図録 復刻版(明治18年)

桜やバラの 植えられた公園も

5万年橋

晴海通りに架かる 広々した橋。

ハイウェー/佐野嘉彦撮影(昭和37年頃)

築地川銀座公園-開園式-/中央区撮影(昭和41年)

公園には名犬チロリ記念碑や 健康こみち

築地川埋立て後の高速道路建設/京橋図書館撮影(昭和35年)

6采女橋(うねめばし)

橋名は江戸前期に松平采女正(うねめのかみ)の屋敷があったことに由来。
震災復興時のアーチ橋(昭和5年竣工)が、陸橋として現存。

海軍大学校/「建築写真類聚」官衙・学校(大正6年)

傍らの公園には橋の記念碑

●築地川のこの先は、今後のエリア特集でご紹介します。お楽しみに!

※参考として川が存在した江戸時代の地図も掲載しています。橋があった時代とは異なる場合があります。

築地川東支川

北門橋で築地川から分かれ、隅田川に注ぐ東支川。昭和53年から平成10年までの埋め立てで川と橋はすべて消失。

1北門橋(ほくもんばし)

築地川との分流地点の橋。
明治後期に海軍参考館があった地は医療の場となり、現・国立がんセンターへ。

市立築地病院/日本地理風俗大系 大東京 豆南諸島 委任統治南洋(昭和14年刊)

2市場橋(いちばばし)

築地場外市場の手前にあった橋。現在は市場橋公園や駐車場に。

市場橋公園/中央区撮影(昭和54年)

公園には東京盲唖学校や点字の記念碑

3海幸橋(かいこうばし)

関東大震災後、日本橋魚河岸の築地移転に先立ち、昭和2年に築地市場入口に架橋。
川の埋め立て後平成14年に撤去。

海幸橋と市場/日本地理風俗大系 大東京 豆南諸島 委任統治南洋(昭和14年刊)

波除(なみよけ)神社/京橋図書館撮影(昭和32年)

保存されている鋼鉄製の親柱は区民有形文化財

4安芸橋(あきばし)

隅田川河口に架かっていた橋。
そばの軍艦操練所跡地には、幕末の1868年に日本最初の本格的ホテルが開業。

東京名所四十八景 築地ホテル館/昇斎一景(明治4年) ※画像提供:東京都立図書館

築地川南支川

明石堀から東支川までの短い支川。昭和62年までにすべての川と橋は姿を消しました。

5小田原橋

東支川との合流点にあった橋。 江戸期は本願寺橋と呼ばれました。

築地川南支川/中央区撮影(昭和57年)

築地魚河岸の小田原橋棟と海幸橋棟に名が残る

6門跡橋(もんぜきばし)

門跡橋は当初築南(ちくなん)橋という名でしたが、西本願寺の門徒の陳情によりこの名に変更。

7備前橋

備前橋は辺りに備前岡山藩邸があったことに由来します。

川がある風景/五島福蔵撮影(昭和37年頃)

上/備前橋の跡地。築地川公園内に銘板と説明板が
右下/門跡橋の親柱を移築保存

町名の移り変わり

今回登場する展示館周辺の江戸最後(慶応3年)から、関東大震災後を経て、現在までの名前の変遷をご紹介!

●入船入船町武家地・南八丁堀ほか

●新富新富町・入船町武家地・南八丁堀ほか

●築地築地武家地・寺地

●築地小田原町武家地・上柳原町・南小田原町・南本郷町・南飯田町ほか

現在は町は付きません

江戸地図:復刻版江戸切絵図「京橋南築地鉄炮洲絵図」/文久元年(1861)原本刊行
協力:こちずライブラリ
画像提供:中央区立京橋図書館

月島エリア散策 おすすめスポット

今回は入船から築地にかけてをご紹介。
隅田川沿いのエリアにはさまざまな見どころもあり、ルートを決めない散策も楽しい。

銀座・京橋エリア散策MAP

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