まちかど展示館 エリア特集

日本橋エリア特集 Part.2 先代から引き継いだものを令和の時代へ

イチマス田源 呉服問屋ミュージアム

蚊帳(かや)の行商から始まり織物中央通りのシンボルへ。
200年以上着物文化を支える老舗問屋の足跡。

織物中央通りの田源ビルに本社を構える田源は、文化13年(1816年)に近江国(滋賀県)で創業。1階エントランスホールの奥がまちかど展示館コーナーです。

最初の東京店があった長谷川町(現在は日本橋堀留町)と記された戦前の荷箱。「昭和30年代までは段ボールを留めるビニールバンドがなく麻縄や藁縄を使っていました」と田中さん。

江戸時代を中心に、田源の長い歴史の中で実際に使われた商売道具、書類、日用品等、貴重な品々が展示されています。

田源の代表は代々「源治」の名を襲名。同社の歴史を歴代の源治さんごとにまとめた資料も展示されています。

大正15年、4代目の時に本社を東京へ。呉服問屋業は隆盛を極め、フォードの車を使用していました。

創業者の初代田中源治さんは、近江商人の1人として地場産の麻の蚊帳を京都へ行商に行き、帰る時に京の呉服を運んだそう。明治4年、2代目源治さんの時に東京に進出。

5代目源治さん。田源は昭和13年に東京本社を現在地に移転。空襲や戦後の混乱を経て発展し、昭和49年に現在の田源ビルが完成しました。

大正時代の「問屋ソロバン」は、取引相手から計算を覗かれないように裏板が付いていました。

2階スペースでは、年に数回「問屋開放D A Y 」として全国から揃えた美しい着物や帯を展示公開しています。また田源では着物のメンテナンスも受付。着物の丸洗い、シミ抜き、寸法直しなどは気軽に相談してみましょう。

―前回の東京オリンピックは?
私はオリンピック聖火ランナーの後で山手通りを走りました。中学のクラスで背の高い生徒達が選ばれてね。今思うと貴重な経験です。
―堀留町はどんな町ですか?
この辺は私が子供の頃からずっと問屋街です。昔は雑貨や寝具等かさばる物を扱う問屋も多く、昭和45年頃には夕方の出荷のピーク時にトラックが道にずらりと並びました。夕方前に歩道の上に50~60箱をどんどん出しておいて、トラックが来たら即積み込む、雨が降ったら「ソレ入れろ!」でしたよ。
―昭和時代の呉服問屋とは?
戦後まで着物の中心は銘仙など安価な絹織物でしたが、昭和30年頃から京都の染物屋にどんどん見込み生産をさせる「つぶし屋」という革命的なメーカー問屋が現れ、京友禅の反物が大変仕入れやすくなって東京の呉服問屋も大成長したのです。主力が織物から京の染物に変わって単価が上がりました。そして上質で華やかな京友禅がフォーマルとして人気となり、呉服の販売数が減っていく中でも売上のピークは昭和57年前後だったんですね。その頃は今の市場規模の6倍程あり、約半分が京友禅でした。今京友禅はピーク時の1割ぐらいです。この辺りで昔から残る呉服問屋は数社程度になりましたが、着物文化を後世に残すためにも力を尽くしていきたいですね。

お話を伺った方会長
田中 源治さん(6代目)

イチマス田源 呉服問屋ミュージアム

管理者:株式会社田源(平成30年度認定)
東京都中央区日本橋堀留町2-3-8
03-3661-9351
開館日:月〜金(祝日・年末年始等を除く)
開館時間:9:00〜17:00
最寄り駅:
小伝馬町駅1番出口 徒歩3分
人形町駅A4番出口 徒歩5分
HP:https://ichimasutagen.shopinfo.jp/
【年末年始の展示館および店舗の営業】
◎年内:12/26(木)17:00まで
◎年始:1/7(火)9:00より

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