まちかど展示館 エリア特集

2022年7月公開

日本橋エリア特集 Part.5 掘割と橋の跡を歩く日本橋エリア特集 Part.5 掘割と橋の跡を歩く

東堀留川(ひがしほりどめがわ)

江戸初期、旧石神井川(しゃくじいがわ)の河口部を整備して作られた堀江町入堀(いりぼり)が後にこの名に。一部は関東大震災後の昭和3年、全体は戦後の昭和24年に埋め立てが完了。

1萬橋(よろずばし)

時代により和国(わくに)橋、堺橋とも。橋があった場所は堀留児童公園内。

東堀留川〜丸永ビルより萬橋方面を望む(昭和23年)

川の跡に建つ日本橋保健センターのピロティ

2親父橋(おやじばし)

元吉原を開いた庄司甚右衛門が架橋。橋名は彼が親父と呼ばれていたことに由来。

建築写真類聚 橋梁 巻二〜親父橋〜(昭和2年刊)

地元のお店の壁にある親父橋の説明板

3思案橋(しあんばし)

この橋で元吉原の遊郭へ行こうかやめようかと思案したことからそう呼ばれました。

小網町稲荷神社の図/新撰東京名所図会(明治33年)

小網神社の社殿等は中央区民文化財

東京日々新聞 思案橋の暴徒事件/歌川芳邨(明治9年)

思案橋の跡地は小網町児童遊園

西堀留川(にしほりどめがわ)

東堀留川同様の伊勢町堀が西堀留川に。両岸は米河岸、小舟河岸、塩河岸等として繁栄。明治19年に屈曲した部分が埋め立てられ、昭和3年に姿を消しました。

4中ノ橋周辺

小舟町川岸の土藏/ 東京府史蹟(大正8年刊)

西堀留川は伊場仙の横の道沿いにあった

常盤稲荷神社は 震災後に川の跡地へ

5荒布橋(あらめばし)

江戸橋とあらめ橋(明治初年)

荒布橋従江戸橋之真図/歌川広重(3代目)(明治10年)

荒布橋跡地には伊勢町堀の説明板が

龍閑川(りゅうかんがわ:竜閑川)

明暦の大火の後に築かれた防火土手そばの明地(あきち)を、町人負担で1691年に開削。当初は神田八丁堀、銀堀(しろがねぼり)と呼ばれました。幕末に埋め立てられるも明治16年に再び掘割に。終戦後姿を消しました。

浜町川との接続地は龍閑児童遊園に。石造りの橋のモニュメントも

1九道橋(くどうばし)

九道橋/日本橋区史参考画帖(大正5年刊)

細い路地が 龍閑川跡

2地蔵橋

日本橋區地藏橋附近〜幹線第一號・第九地區〜/ 帝都復興記念帖(昭和5年刊)

地蔵橋の跡地は昭和通り上。地蔵橋公園に記念碑が

路地沿いにはビルの合間に小さなお社 左/福田稲荷神社 右/両社(りょうしゃ)稲荷神社

3東中ノ橋(東仲之橋)

龍閑川〜地蔵橋より東仲の橋を望む〜(昭和23年)

現在は両側にビルや マンション

4今川橋

町名主の今川善右衛門にちなむという今川橋。

日本橋室町四丁目今川橋跡付近/京橋図書館撮影(昭和32年頃)

今川橋〜竜閑川室町〜/日本橋区史参考画帖(大正5年刊)

ビルの横に今川橋跡の碑

5西中ノ橋(西仲之橋)

龍閑川〜大洋ビル屋上より西仲の橋を望む 埋立作業〜 (昭和24年頃)

現在は日銀通りとの 交差点

JRの白旗橋ガードに隣にあった橋の名が残る

6龍閑橋(竜閑橋)

橋と川の名は、西側に幕府坊主の井上龍閑の屋敷があったことに由来。

龍閑橋/日本橋区史参考画帖(大正5年刊)

外堀通り沿いに古い橋の一部を保存。大正15年架橋の日本初の鉄筋コンクリートトラス橋

大伝馬本町通りの賑わい

江戸時代の大伝馬町には、主に伊勢商人による木綿問屋や大店がズラリと並び、旧日光街道は江戸のメインストリートでした。その繁栄は浮世絵にも活き活きと描かれています。

東都大伝馬街繁栄之図/歌川広重(1843~1847年)/画像提供:国立国会図書館

浜町川(はまちょうがわ)

江戸初頭に隅田川から掘り進み龍閑川とつながってL字型に。両岸は西緑河岸(にしみどりがし)・東緑河岸(ひがしみどりがし)と呼ばれました。明治16年に神田川までつながり水運に貢献。戦後一部埋めて暗渠化され、昭和40年代後半にすべて消滅。

浜町川の跡地、龍閑児童遊園の右隣りに竹森(たけのもり)神社

1竹森橋

龍閑川との接続部近くにあった橋。

浜町川〜竹森橋より竜閑川合流点橋本橋方面を望む〜 (昭和24年)

浜町川〜埋立て中〜(昭和24年)

細い歩行者用通路の下には古い下水管が今も

下水道局の敷地を示す看板が所々に

2鞍掛橋(くらかけばし)

明治期に江戸通りが拡張されると東京市電が通り、そばに停車場もありました。

復興局橋梁設計圖集〜鞍掛橋〜第6輯(昭和5年刊)

交差点に橋名が残る

3緑橋

浜町川の河岸名の由来。区の道路愛称「みどり通り」にも残ります。

日本橋大伝馬町三丁目付近/京橋図書館撮影(昭和32年頃)

現在のみどり通りの見た目は様変わり

浜町川〜鞍掛橋より 緑橋方面を望む〜 (昭和24年)

浜町川のこの先は、今後の日本橋エリア特集でご紹介します。お楽しみに!

町名の移り変わり

今回登場する展示館周辺の江戸最後(慶応3年)から、
大正の大震災後を経て、現在までの町名の変遷をご紹介!

日本橋小舟町小舟町小舟町(こぶなちょう)・堀江町

日本橋小伝馬町小伝馬町小伝馬町・小伝馬上町(かみちょう)・大伝馬町・通旅籠町(とおりはたごちょう)・亀井町ほか

日本橋大伝馬町大伝馬町大伝馬町・通油町(とおりあぶらちょう)・通旅籠町・元浜町(もとはまちょう)

日本橋本町本町本町・堀留町・本小田原町・本石町(ほんごくちょう)・本舟町(ほんふなちょう)・大伝馬塩町(しおちょう)・大伝馬町・長浜町・伊勢町・鉄砲町ほか

現在はすべて頭に日本橋と付きます

江戸地図:復刻版「分間江戸大絵図/文政11(1828)年原本刊行
協力:こちずライブラリ
画像提供:中央区立京橋図書館

日本橋エリア散策MAP

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